ダメ海月雨丘の無駄にダラダラ毎日日記。
人形好きの気分屋ですが、楽しんでいってくれたら幸いです。
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あいやこばんわわ。実家帰ってきてたりします。雨丘です。
恐らく明日の稽古は新幹線通学一日再開で…(吐血)
まぁ仕方ないんですが。
今回の帰省は、11月の初めにやる舞台の小道具をどうにか集めようと。
ウチは比較的古いものなんかも残っていたりしてるんで、昭和の時代設定には良いんじゃないかと思って探しにきたのです。
とりあえず、割烹着は発見。
千人針は作り方をばっちゃんに教えてもらったんで、自主制作です。
現在、二十針完了。
…………。
先は長いです…。
そういえばこの千人針。
普通の人は一人一針なのですが、寅年生まれの女性は別らしいです。
「虎は千里往って千里還る」と言われ、「無事に帰って来るように」との願いを込めて多くの千人針に描かれたそうです。
現在製作中の雨丘千人針も、そんな訳で虎の絵柄だったりします。
そこで、寅年生まれの女性は強い、との事で、その人だけは歳の数だけ針を通せたみたいです。
因みに、雨丘達は(早生まれ除いて)卯年。
一つ上は寅年。
と、言うことは。
先輩方!!歳の数だけ針通してください!!!!!!
まぁ、既に卯年が一人で20針通してる時点で、本物の千人針とはかけ離れちゃってるんですが。
でも一応男性には針通してもらいません。
「女性一人一針で千人」って言うのは流石に無理ですが、そのくらいはきっちりしておきたいのです。
男は戦場へ出向き、女は静かに送り出す。
そんな時代ですから。
さて。
今は実家の沼津に居るのですが、沼津のばっちゃんは戦時中12~3歳だったそうなので、あんまり思えていないとの事でした。
本人の言葉で言うと
「んな事言ってもアンタ、あたしゃその時十歳前後だーよ?んな覚えてにゃあって」
だそうです(笑)
まぁ、こっちのばっちゃんは実際戦争で一番上のお兄さん亡くしてますしね。
辛いだろうとは思いましたが、千人針の作り方は教えてくれました。
そしてもう一人のばっちゃん。
現在富士に住んでいるのですが、明日連絡取れたら行ってみようかと思います。
こっちのばっちゃんは、戦時中17~8歳。
沼津のばっちゃんよりももっと記憶は確かなはず。
10人兄弟の一番上でもありますし、きっと色々知ってるんではないでしょうか。
えー、なので明日の稽古の雨丘の出現率は五分五分です。
もし居なかったら、きっとまだ静岡県東部を駆けずり回ってると思ってください。
早めに終われば……まぁお昼でしょうね。
13時に終了予定ですが、行けるようならば行きます。
…………。
……多分…(ぇ)
では今日はこの辺で。
とりあえず、千人針用に野鳥の会愛用のアレが欲しいです。
それでは皆様、良い夜を……。
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